製作の参考にしていただければ幸いです。〔写真撮影:特記以外2021.6.5 中部浩佐〕 ■仁別森林鉄道 D-40(真室川保存機) 1943/昭和18年10月製造・1946/昭和21年8月購入で、導入当初から秋田営林署に所属。重量は厳密には4.8tとの由だが、いわゆる5tクラスの機体である。仁別森林鉄道の廃止時点において、秋田営林局における管理番号は『D-40』、機関は加藤自社製のKD-50型4気筒ディーゼルを搭載していた。 同機は廃車後、仁別森林博物館(1964/昭和39年開業)にて静態保存されていたが、1982/昭和57年に山形県真室川町が秋田営林局に申し入れのうえ譲受、同町にてエンジン換装等の整備を行い、1983/昭和58年より動態保存の状態となり今日に到っている。 当初は真室川町歴史民俗資料館の展示物として保管され、見学希望者の申し入れがあった際に火が入る程度であったが、2004/平成15年より町営の『まむろ川温泉 梅里苑』隣接の町有地に敷設された全周約1kmのエンドレス軌道にて、例年5月~10月の週末・祝日に定期運行されるようになった。 また、同機は2009/平成20年には経済産業省の『近代化産業遺産』にも指定されている。 ・仁別森林博物館保存時代 ・真室川町での保存 同じ秋田営林局の管内で森林鉄道が存在したという以外にはさして縁のない山形県真室川町にて、この『仁別のカナ書きカトウ』の保存が行われるに到った経緯と、その後の展開については以下の論文に詳しい。 1983年からの真室川町歴史民俗資料館での保存に当たり、D-40はエンジンの換装(カトウKD-50→いすゞDA220)を含む動態化整備を施され、その際に塗装も上回り:ライトグリーン・下回り:黒という、近年のファンにはなじみの深い装いに改められている。 併せてトレーラーも2輛(組)が用意され、資料館の敷地内には200mほどの線路を敷き、短いながらも往復での運転を可能とした。 トレーラーは、他所から富士重工製モノコック運材台車2組を入手し、うち1組には、当時秋田県合川町の大野ハイランドで保存されていた林鉄の客車(合川営林署管内で使用されていたものとされる)を模して新製したレプリカの木製車体を載せて客車とした。運材台車は上松運輸営林署(木曽)より譲受したものだというが、客車の足回りに使われた方はさておき、運材台車の姿のままのもう1組はブレーキハンドルが円形でかつ低い位置に取り付けられている青森局方式のため、前歴が木曽のものかどうかは疑わしいようだ。 ▲真室川町歴史民俗資料館にて保存時の姿。客車は撮影時点で製作から20年近くが経過していることもあってか、車体に痛みが目立つ。モノコック運材台車は、客車が履いている物と丸太を載せた物のブレーキハンドル形状の差異に注目。写真4点いずれも2002.6 P:城日野哲太 ▲牽引する車輛のうち、客車については梅里苑へ保存場所を移したのを機に北陸重機で車体を新造した(2004/平成15年製造、S/N:2540)。さすがに完全な木造ではなく、車体の骨組みは鋼製角パイプによるものだが、腰板部分はオリジナルのような羽目板に見せかけて細い丸太を並べて嵌め込んであるのがユニーク。窓は吹き曝しで巻き上げ式のビニールカーテンを備える。出入口は片側(現状はエンドレス外周側)の車体中央のみで、扉は腰板部分のみの開き戸。車内は木製の内張りとロングシート。 ▲左:客車が履くモノコック運材台車には背の高いブレーキハンドルポストが付く。また、梅里苑に来たときから編成はエアブレーキ化が図られている。右:客車の車内の様子。木製の座席は座面の凝ったつくり。 ・カナ書きカトウの角度 ▲この機関車の最大の特徴といえるのが、鋳物部品の『カトウ』の陽刻。動輪の軸受もよく見ると『カトウST』と記されている。一方、一般的な加藤の機関車では『KST』陽刻がある中間伝導軸のフタは無地品。 ▲一歩引いてオーソドックスな角度での1枚。“カナ書き”刻印であるだけでなく、台枠のステップの天地寸法が小さい戦前製の加藤5t機の特徴を残す点でも貴重な個体である。 ▲いっぽう、左右のサイドビューを眺めてみると、全長に対するキャブの長さの比率が高いことが目につく。このプロポーションは5tクラスとしては少数派。なお、ボンネットが短めな分、カウル留めの数も片面で3ヶ所となっている。 ▲▼ボンネット上でもっとも目につくのは、キャブ前面窓の前にある2つの蓋。四角い方がおそらく砂箱の蓋だと思われるが、もう一つが判然としない。なお、丸い方はキャブ寄りの一辺が欠き取られた形状で完全な円形ではない。 ▲前進左側のエンジンルーム内を見る。ボンネット上の項でも述べたが、ラジエターがオリジナルの物の背後に別物を装着しているようで、サイドから見ると不自然に後方に張り出しているのが判る。換装されたエンジンはいすゞDA-220(S/N:549968)。砂箱は一般的な逆三角形ではなく片流れの独特な形状。砂撒管も前輪の方にしか掛かっていない。 ▲右側のエンジンルーム内。1枚目はラジエターのホースの引き回し(ノンオリジナルだが)とバッテリーの搭載位置、2枚目は砂撒管の様子がよくわかる。2枚目、変速機のプレート(厳密にはシフターボックスの蓋)の刻印は『KATOWORKS SHINAGAWA TOKYO』。以上3点、2002.5.18 P:長倉朋春 ▲排気管の位置が左側台枠前方であることが一目瞭然のカット。本機にかぎらず、秋田営林局のこのクラスの機関車は側面排気のものが圧倒的に多い。 今井啓輔さんが1965/昭和40年10月の仁別訪問時に撮影している機体です 外観は真室川保存のD-40と酷似しますが、キャブの背が明らかに高い/ラジエター脇にバックミラーを装備/ラジエター脇のライト掛けが左右2ヶ所ともあり且つマーカーライトを装備、という差異から、別個体と判断しています。 掲載書籍・ページは以下の通り。 今井啓輔『私の見た狭軌特殊鉄道 第1巻』(レイルロード) p59~61、64 なお、同じ仁別森林鉄道でなぜ番号の付け方が違うのか?と疑問に思われるかもしれませんが、秋田営林局の機関車は帳簿上の番号と実際に機関車に取り付けられているプレートの番号が一致していないケースがあり、改番ないし附番形態変更の有無を含め実態が明らかでないためです。 そのため、エッチング板の製品名や本稿での記載は、D-40の場合は廃止時点の帳簿上の番号、33-092の場合は実機のプレートの番号に基づいています。 岡本憲之『加藤製作所機関車図鑑』(イカロス出版) p34・35の下部に『N型』と称する戦前撮影とおぼしき5t機の写真が掲載されています。エッチング板の機種は、ディメンションはボンネットとキャブの長さの比率が仁別D-40と同じp35の機体に準じつつ、キャブの造作はp34の機体に合わせたセミフリーデザインのため、N型"タイプ"と称しています。ただ、この形態そのものズバリの機関車が実在した可能性もないわけではありません。
by maruk-fes
| 2021-09-26 11:18
| 記念製品(エッチング板)
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